《芸術と憲法を考える連続講座》 第1回 報告

この12月18日にスタートした自由と平和のための東京藝術大学有志の会による《芸術と憲法を考える連続講座》。オープニング企画となったのは、作家・中島京子さんと神奈川新聞記者・田崎基さんによるクロストーク『どうなるの?表現の自由と憲法』

衆参両院で改憲勢力が三分の二超を占め、立憲主義のもとで本来憲法に縛られるはずの政権が、憲法上の規定をことごとく無視して乱暴な国会運営をおこない(もしくは国会の存在そのものを軽んじる行為を繰り返し)、まるでタガがはずれたように改憲推進に前のめりに走り出している。今やいつ改憲発議がおこなわれてもおかしくない、という現状認識のもと、緊急企画として、きわめて短い準備期間で奇跡的に実現した企画だった。これからも毎月1回、芸術と憲法をさまざまな角度から考える講座をおこなっていく計画。

 

田崎記者の基調報告では、今年6月、安倍政権がさまざまな禁じ手を駆使し、委員会採決すら省略して強行成立させた「共謀罪法」が、日本の刑法体系を基礎づける「既遂処罰」の大原則を覆し、盗聴や密告、他人を陥れる監視社会をまねき、芸術や言論活動の基本である「表現の自由」にとっても深刻な萎縮効果をもたらす危険を指摘。その上で、安倍政権が発足以来着々と積み上げてきた教育基本法改悪、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定、安全保障関連法や共謀罪法のあい次ぐ強行採決へと続く流れを、個々の点ではなく、線としてとらえ、今進められている首相と自民党主導による改憲論議が、その先にどのような社会を作ることを意図しているかに思いをめぐらせることが重要だという。

 

最速のシナリオでは、来年度予算が国会を通過する2018年春以降に改憲発議が行われ、10月頃にも国民投票となる可能性も否定できない(聴衆のあいだにうめき声のようなどよめき...)。危険きわまりないこの改憲を阻止するためには、改憲発議をとめる運動も大事だが、国会の勢力図を考えれば、改憲発議後の国民投票で、憲法に対するさまざまな考えやスタンスの違いを超え、「安倍改憲には反対」で一致できる多数派を形成するための運動に、今すぐ全力で着手することが急務である。自分の周囲の狭い世界に閉じこもることなく、一歩を踏み出して自分のことばで憲法を語り、草の根の運動を短期間にどれだけ広げることができるかが問われている、というお話だった。「安倍改憲」の論点整理や、その出どころとなっている日本会議系の右翼思想の系譜にふれる話も、たいへん勉強になった。

 

若い田崎さんの話は、その内容の深刻さにもかかわらず、たくみなテンポとユーモアを交えて、会場は何度も笑いに包まれた。そこに、しなやかな視点と庶民感覚で相づちを打ったり、文学者ならではのコメントを投げたりしてくれる「ユーモア作家」中島京子さんの存在が、じつにありがたかった。

 

中島さんは、雑誌編集部の政治的な忖度により自身のエッセイが連載中止に追い込まれた2012年韓国での体験を語り、「その当時、日本ではそんなことは起きないと思っていた。でも時が流れて、何が起こったかというと、韓国の国民はパク・クネ政権を倒し、新しい大統領を選んだ。一方で今の日本で安倍政権のあり方と国じゅうをとりまく時代の空気を考えた時に、私は考え込んでしまうところがある」として、言論表現の萎縮が続く今の日本社会に関して、政治テーマを扱って連載が打ち切られたある漫画の事例を紹介。そこに何らかの政治的圧力がはたらいたのか、または編集部がそれを忖度したのかもわからない。しかし「何かはそのようにしてはじまってしまう。だからそれは起こり始めたらほんとうに気をつけなきゃいけない。でも韓国の事例を参考にして言うなら、市民はそうした奇妙な圧力のある社会を正常なものに変えることができる。そのための市民の武器になるのが、人権や表現の自由について書かれている憲法だと私は思っている。」

 

 

《芸術と憲法を考える連続講座》の滑り出し。オープニング企画はおおよそこんな内容だったと思う。これからしばらくは毎月一度の講座を企画し、走り続けていく。憲法とは何か、表現の自由はなぜ守られねばならないのか、東京藝大という場にふさわしい学びと語りあいの場としていきたい。(2017年12月23日、H.K.)

中島京子さん(作家)VS 田崎基さん(ジャーナリスト),

中島京子さん(作家)VS 田崎基さん(ジャーナリスト)のクロストーク形式で進められた連続講座オープニング会場は、内容の深刻さにもかかわらず、2人の演者のたくみなテンポとユーモアに惹き込まれ何度も笑いに包まれた。

 

自民党が進める改憲の国民投票が2018年10月だと知り、会場が騒然とする場面も。