ちひろさんの切手と てるよさんのファックス

いわさきちひろさんの切手が出たので、郵便局で10シート買って帰る。筆無精のぼくがこんなにたくさん切手を買ったら、一生分の手紙に足りてしまうんじゃなかろうかと思うが、作曲家の徳山さんにさいわい手紙を書く必要があったので、最初の1枚を早速切り取って使った。


ちひろさんが亡くなった年の秋のことだったかと思うが、銀座の小さな画廊で回顧展があるというので、出かけた。「子どもがこんな町中の画廊に一人で来るなんて」と、画廊主のおばさんに驚かれた。絵本「戦火のなかの子どもたち」や「母さんはおるす」の原画、モスクワの風景スケッチなどが飾られていたと思う。小さな画廊の部屋を何周も歩きまわって、初めて見るちひろさん直筆のやわらかな鉛筆の線に食い入るように見入りながら、まるで母親のように、水か空気のように、子どもの頃からいつも身近にあって馴れ親しんだこの絵本画家との別れを、中学1年生だったぼくは惜しんだ。

ひろさんの回顧展のあとしばらくたってから、同じ画廊で遠藤てるよさんの『ベトナムのダーちゃん展』があり、中学生のぼくのところにも、画廊主のおばさんはちゃんと案内の葉書きをくれた。ちょっと誇らしい気持ちで、それからぼくは「はばたき」という名のその画廊によく通うようになった。ちひろさんは亡くなってしまったけれど、絵本画家遠藤てるよさんとのつきあいが始まったのは、その時からのことだ。

おととい、「自由と平和のための東京藝術大学有志の会」の事務局のファックス(実はぼくの自宅のファックス)に、永く音信が途絶えていたその人から安保法制廃止を求める署名がファックスされてきた。やさしく踊るような遠藤てるよさんの懐かしい筆跡に驚いた。さっそくお電話をかけ、ぼくの筆無精を詫び、久しぶりの電話はずいぶん長話になった。有志の会の呼びかけ人連名にぼくの名があるのを見て、「あの川嶋くんだ」とすぐにわかり署名してくださったのだという。85歳のお元気そうな声に、ほっとひと安心した。

有志の会の呼びかけ人には、ちひろさんの息子の松本猛さんも名を連ねてくれているし、こうして遠藤さんとも再びつながることが出来た。今日はちひろさんの親友だった亡き東本つねさんの娘さんという人からもメールが届き、驚いた。娘さんは藝大のご卒業で、安倍政権の暴走に危機感をもち、藝大署名を一生懸命周囲にひろめてくださっているそうだ。

ちひろさんが亡くなる前、ベトナム戦争はまだ続いていて、沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、ベトナムの子どもたちの上に爆弾の雨を降らせていた。ちひろさんを始め、子どもの本の仕事をしている人たちはそのことに心を痛め、手をとりあって大きな平和運動のうねりを日本じゅうで起こしていた。遠藤てるよさんも、東本つねさんも、そうした絵本画家のひとりだ。その頃の空気を、ぼくも子どもながらに感じ、自分のなかに受け継いでいるのだと思う。ちひろさんの息子猛さんも、メールをくれた東本さんの娘さんも、ぼくと同じくあの時代の空気を受け継ぐ世代といっていい。

「ぼくが今、何かせずにはいられずこうしているのも、出発点はあの頃の、さまざまな出会いの中にあったのかもしれないと思ってます。ちひろさんやてるよさん達の絵本を見てぼくたちは育ったんですから。悲惨な戦争への道を二度と許しちゃいけないって思いを、ぼくたちはそこから受け継いで育ったんですよ」と、受話器の向こうの遠藤さんに、ぼくは話した。

ちひろさんの切手は、大切に使いたい。

                                       H.K. wrote