有志のブログ

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                    不定期更新

 

 

僕たちは戦争に行かない

これは2014年に 有志メンバーがFacebookに投稿した文章です。

憲法9条の在り方を問うこの訴えが、私たち有志の会の始まりと言っても過言ではありません。

7月10日の参院選を前に、改めてブログとして転載します。どうか一緒に考えて下さい。

 

********************************************

 

あるプライベートなオペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。毎晩、豪華なホテルに泊まってバイロイトやザルツブルクの音楽祭を巡り、食事の席にもご一緒した。その席上、メンバーのひとりだったある政財界の大物(そのグループはそういう方々の集まりだった)が大きな声で話したことが、今も耳に焼きついて離れない。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でどんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。「かわしま君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。

集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)。この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの発言をされた方が入っている。安倍首相のブレーンの一人と言われ、さまざまな政府委員も務めておられる有力者だ。「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、夕べの会見で首相は言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進めるこの内閣の本当の目的が、そんなところにないことは、法制懇のこの顔ぶれを見ても明らかだ。背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ。

政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、平時から強化しておくのがねらいで、大学や研究機関への圧力や働きかけが早くも強まっていると聞く。秘密保護法が成立し、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、憲法9条も風前の灯(すでに死文と言えるのかもしれない)と化した今、国民に知られたくない重要なことは次々と機密指定にしてしまえば、ぼく達のあずかり知らぬところで、海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。

ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、日本は大変なことになる。平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が、心からかみしめられる日を、もう一度取り返さなくてはならない。若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。

 

 

 

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5/21<画学生からの伝言>集会によせて

このイベントは、現在入場お申込みを締め切らせていただいています。

 

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館主、窪島誠一郎氏が上野でお話をされるという。昨年末、くも膜下出血となり、幸い大きな後遺症もなく近日退院したばかりとのこと、館主みずから労を押しての今回の東京での講演は、大変に貴重な機会です。

 

 

 

窪島誠一郎氏は1941年生まれの著作家・美術評論家。戦没画学生慰霊美術館「無言館」(一般財団法人)・夭逝した画家のデッサンなどの作品を収蔵した「信濃デッサン館」の館主です。無言館には、全国の戦没画学生の、日中・太平洋戦争で亡くなった画学生の遺作・遺品約300点が展示されています。繰り上げ卒業の学徒、収集された若手教員などが多く、油絵・日本画・工芸・デッサンなどの作品、日記、イーゼルや煙草入れなどの遺品があります。所属は東京の画学生にとどまらず、日本国籍以外の方々の展示もあります。

 

 

無言館は信濃デッサン館の分館として1997年が第一展示館が設立、2008年に無言館第二展示館「傷ついた屋根のドーム」が設立しました。〜美術館所在:上田市古安曽(上田交通 塩田町駅からシャトルバス・歩7分/上信越自動車道上田菅平インターチェンジから約35分)

 

 

同館設立のきっかけは、窪島氏が、自らも出征経験を持つ画家・野見山暁治氏(1920年生まれ、洋画家、文化勲章授章者)と出会い、野見山氏の「戦死した仲間たちの絵」の話に共感したことにはじまります。ともに遺族を訪問する旅をして長い年月をかけて収集されました。

 

施設の「無言館」という名には、展示される絵画はなにも語らず「無言」だが、みる者に多くを語りかける、という意味で命名したというが、いっぽう、展示される絵画をみてみる者も「無言」になるという意味をも含んでいるといいます。

 

 

 

戦争では実に多くの命がうばわれ、自然が破壊されます。今平和について今、数多くの文化人が平和について訴え、行動しています。

 

2015年4月の無言館で行われた成人式では、ちばてつや氏(1939年生まれ、漫画家、「あしたのジョー」作者、文星芸術大学教授。終戦時6才で中国の奉天で迎え、苦労された経歴をもつ)も、日本を戦争する国にしてはならないと発言されています。戦争法案で個人が国家に監視されると、各々の発言や自己表現が萎縮し、国がやせ細っていくおそれがある、と窪島さんはいいます。戦争中の画家達は、公共施設をスケッチするのも、裸のモデルを描くことも禁じられていました。70年前の日本を、ご自身のことばで語って下さる方々も年々少なくなりましたが、それはたった70年前に実際に行われていたことなのだということを私達は忘れてはならないことだといいます。

 

 

■同日、観世流シテ方 関根知孝氏による独謡が披露されます。

 

 

※※※※※※※

題目 母のなげき 〜能「藤戸」より

              能楽シテ方観世流

 

※※※※※※※

 

関根氏は1951年生まれ。観世流二十五世宗家観世左近氏に内弟子され、国内外での公演や指導に尽力されています。1998年重要無形重要文化財指定。

(藤戸:作者不詳の雑能。源平合戦の頃、備前国(岡山)藤戸の合戦で、戦陣の功のあった佐々木盛綱は、新領主としてお国入りします。領民の訴えを聞くうち、一人の老婆がやって来て、罪もない我が子が、盛綱に殺された恨みを述べます。老婆は悲しみを新たにし、親子の情を述べ、自分も殺してほしいと詰め寄ります。盛綱は前非を悔いて、老婆を慰め、下人に命じて自宅まで送らせます。)

 

 

日本の第一線の文化人の方々が参加され、平和について考え、行動するきっかけとして、活動ジャンル、世代、地域をこえ、この集会は企画されました。皆様是非ご注目ください。

 

※おことわり

 5月21日(土)開催の「憲法9条70年《画学生たちからの伝言》いま耳をすます」は、5月14日(土)を以て、予定通り、入場お申込みを締め切らせていただきました。

 当日、ご参加くださる皆様と 素晴らしい時間を共有できますことを楽しみにしています!たくさんのお申込みをありがとうございました。

 

 

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谷中ボッサ

 

「戦争法廃止のチラシを置かせてもらうなら、先生、大学の近くにいいお店がありますよ」

と、聞き慣れない店の名を学生が耳打ちしてくれたのは、去年11月。せっかく教えてもらってあったのに、自分で行くのはちょっと勇気が出ず、仕事にかまけ延ばし延ばしになっていた。

 

そのお店「谷中ボッサ」のほうからおとといの夜遅くメールが届いてしまったのだから、びっくりだ。

 

 

「近所でカフェを営んでいますので、貴会のフライヤーをいつでも、よろこんで設置させていただきます。50部ほど、送料がもったいないので、通りすがりにでもお持ちいただければと思います。

明日夜は国会前に行きたいと思います。」

 

あわてて昨日、お店を訪ねたら、定休日で人が居ず、チラシは緑色のポストに入れてきた。

入り口の扉の張り紙には大いにたまげた。

国会前に抗議行動に行く人たちに、実に耳寄りな情報。

もっと早くに知っていれば!

谷中ボッサ!

 

 

憲法を踏み躙る戦争法の施行に抗議する幾万の人々が、夜の国会前で遅くまで声をあげ続けた。

街頭署名からのハシゴで、病み上がりの身に、長時間のシュプレヒコールはいささかキツかったが、

日本が戦争国家に向かって大きな一歩を踏み出した昨日ばかりは、

満身の怒りを込め、声をあげずにはいられなかった。

 

谷中ボッサはお休みだったので、魔法瓶入りの熱いコーヒーはなかったのだけれど。

  

                                         H.K. wrote

 

お店、演奏会場、ギャラリーなどに「藝大有志の会」の署名チラシを置いてくださる方、

ご連絡くだされば郵送しています。→自由と平和のための東京藝術大学有志の会 お問い合わせページ

 

2000万人署名と同時平行で、藝大有志が集める独自の賛同署名。

ぼくたちの命と言論表現の自由を脅かす戦争法に、ぼくたちはNOの声をあげ続ける。

賛同署名は先週1500名を突破した。

 

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ちひろさんの切手と てるよさんのファックス

いわさきちひろさんの切手が出たので、郵便局で10シート買って帰る。筆無精のぼくがこんなにたくさん切手を買ったら、一生分の手紙に足りてしまうんじゃなかろうかと思うが、作曲家の徳山さんにさいわい手紙を書く必要があったので、最初の1枚を早速切り取って使った。


ちひろさんが亡くなった年の秋のことだったかと思うが、銀座の小さな画廊で回顧展があるというので、出かけた。「子どもがこんな町中の画廊に一人で来るなんて」と、画廊主のおばさんに驚かれた。絵本「戦火のなかの子どもたち」や「母さんはおるす」の原画、モスクワの風景スケッチなどが飾られていたと思う。小さな画廊の部屋を何周も歩きまわって、初めて見るちひろさん直筆のやわらかな鉛筆の線に食い入るように見入りながら、まるで母親のように、水か空気のように、子どもの頃からいつも身近にあって馴れ親しんだこの絵本画家との別れを、中学1年生だったぼくは惜しんだ。

ひろさんの回顧展のあとしばらくたってから、同じ画廊で遠藤てるよさんの『ベトナムのダーちゃん展』があり、中学生のぼくのところにも、画廊主のおばさんはちゃんと案内の葉書きをくれた。ちょっと誇らしい気持ちで、それからぼくは「はばたき」という名のその画廊によく通うようになった。ちひろさんは亡くなってしまったけれど、絵本画家遠藤てるよさんとのつきあいが始まったのは、その時からのことだ。

おととい、「自由と平和のための東京藝術大学有志の会」の事務局のファックス(実はぼくの自宅のファックス)に、永く音信が途絶えていたその人から安保法制廃止を求める署名がファックスされてきた。やさしく踊るような遠藤てるよさんの懐かしい筆跡に驚いた。さっそくお電話をかけ、ぼくの筆無精を詫び、久しぶりの電話はずいぶん長話になった。有志の会の呼びかけ人連名にぼくの名があるのを見て、「あの川嶋くんだ」とすぐにわかり署名してくださったのだという。85歳のお元気そうな声に、ほっとひと安心した。

有志の会の呼びかけ人には、ちひろさんの息子の松本猛さんも名を連ねてくれているし、こうして遠藤さんとも再びつながることが出来た。今日はちひろさんの親友だった亡き東本つねさんの娘さんという人からもメールが届き、驚いた。娘さんは藝大のご卒業で、安倍政権の暴走に危機感をもち、藝大署名を一生懸命周囲にひろめてくださっているそうだ。

ちひろさんが亡くなる前、ベトナム戦争はまだ続いていて、沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、ベトナムの子どもたちの上に爆弾の雨を降らせていた。ちひろさんを始め、子どもの本の仕事をしている人たちはそのことに心を痛め、手をとりあって大きな平和運動のうねりを日本じゅうで起こしていた。遠藤てるよさんも、東本つねさんも、そうした絵本画家のひとりだ。その頃の空気を、ぼくも子どもながらに感じ、自分のなかに受け継いでいるのだと思う。ちひろさんの息子猛さんも、メールをくれた東本さんの娘さんも、ぼくと同じくあの時代の空気を受け継ぐ世代といっていい。

「ぼくが今、何かせずにはいられずこうしているのも、出発点はあの頃の、さまざまな出会いの中にあったのかもしれないと思ってます。ちひろさんやてるよさん達の絵本を見てぼくたちは育ったんですから。悲惨な戦争への道を二度と許しちゃいけないって思いを、ぼくたちはそこから受け継いで育ったんですよ」と、受話器の向こうの遠藤さんに、ぼくは話した。

ちひろさんの切手は、大切に使いたい。

                                       H.K. wrote

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無言館

みなさんこんにちは。不定期更新ブログつれづれ、有志の会のP(ぴー)子です。

 

2015年の秋の終わりに、K(けー)ちゃんと2人で信州上田に行ってきました。

 

車で行くなら、菅平ICから30分ほど走ったところに、古安曽という本当にのどかな、静かな田園地帯が広がります。

 

そこには信濃デッサン館と戦没画学生慰霊無言館があります。


こちらの写真はちょうどかりんが沢山色づいて、ぶどうのハッパも色とりどりで、落ち着いた季節で、けーちゃんがいろいろ撮ってくれたものの一部です。

 

 

ここにまだ行ったことがない方がいらしたら、いちどは是非ご訪問をオススメします。若くして亡くなった画家や画学生の作品が沢山展示されています。ぴー子は建物に入るなり号泣しちゃうんじゃないかって想像してたのですが、そういうことはなくて、全部の作品をゆっくり、ゆっくり、落ち着いて観る事ができました。

 

建物全体からくるきちんと感というか、えりの先までアイロンがかかっているような、それでいてあったかいものに覆われているようなやさしさというか、とにかく、哀しいところなんだけどきちんと向き合っていつまでもいたいような空気が流れていましたよ。

 

(つづく)

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僕たちは戦争に行かない

これは2014年に 有志メンバーがFacebookに投稿した文章です。

憲法9条の在り方を問うこの訴えが、私たち有志の会の始まりと言っても過言ではありません。

7月10日の参院選を前に、改めてブログとして転載します。どうか一緒に考えて下さい。

 

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あるプライベートなオペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。毎晩、豪華なホテルに泊まってバイロイトやザルツブルクの音楽祭を巡り、食事の席にもご一緒した。その席上、メンバーのひとりだったある政財界の大物(そのグループはそういう方々の集まりだった)が大きな声で話したことが、今も耳に焼きついて離れない。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でどんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。「かわしま君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。

集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)。この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの発言をされた方が入っている。安倍首相のブレーンの一人と言われ、さまざまな政府委員も務めておられる有力者だ。「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、夕べの会見で首相は言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進めるこの内閣の本当の目的が、そんなところにないことは、法制懇のこの顔ぶれを見ても明らかだ。背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ。

政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、平時から強化しておくのがねらいで、大学や研究機関への圧力や働きかけが早くも強まっていると聞く。秘密保護法が成立し、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、憲法9条も風前の灯(すでに死文と言えるのかもしれない)と化した今、国民に知られたくない重要なことは次々と機密指定にしてしまえば、ぼく達のあずかり知らぬところで、海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。

ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、日本は大変なことになる。平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が、心からかみしめられる日を、もう一度取り返さなくてはならない。若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。

 

 

 

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5/21<画学生からの伝言>集会によせて

このイベントは、現在入場お申込みを締め切らせていただいています。

 

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館主、窪島誠一郎氏が上野でお話をされるという。昨年末、くも膜下出血となり、幸い大きな後遺症もなく近日退院したばかりとのこと、館主みずから労を押しての今回の東京での講演は、大変に貴重な機会です。

 

 

 

窪島誠一郎氏は1941年生まれの著作家・美術評論家。戦没画学生慰霊美術館「無言館」(一般財団法人)・夭逝した画家のデッサンなどの作品を収蔵した「信濃デッサン館」の館主です。無言館には、全国の戦没画学生の、日中・太平洋戦争で亡くなった画学生の遺作・遺品約300点が展示されています。繰り上げ卒業の学徒、収集された若手教員などが多く、油絵・日本画・工芸・デッサンなどの作品、日記、イーゼルや煙草入れなどの遺品があります。所属は東京の画学生にとどまらず、日本国籍以外の方々の展示もあります。

 

 

無言館は信濃デッサン館の分館として1997年が第一展示館が設立、2008年に無言館第二展示館「傷ついた屋根のドーム」が設立しました。〜美術館所在:上田市古安曽(上田交通 塩田町駅からシャトルバス・歩7分/上信越自動車道上田菅平インターチェンジから約35分)

 

 

同館設立のきっかけは、窪島氏が、自らも出征経験を持つ画家・野見山暁治氏(1920年生まれ、洋画家、文化勲章授章者)と出会い、野見山氏の「戦死した仲間たちの絵」の話に共感したことにはじまります。ともに遺族を訪問する旅をして長い年月をかけて収集されました。

 

施設の「無言館」という名には、展示される絵画はなにも語らず「無言」だが、みる者に多くを語りかける、という意味で命名したというが、いっぽう、展示される絵画をみてみる者も「無言」になるという意味をも含んでいるといいます。

 

 

 

戦争では実に多くの命がうばわれ、自然が破壊されます。今平和について今、数多くの文化人が平和について訴え、行動しています。

 

2015年4月の無言館で行われた成人式では、ちばてつや氏(1939年生まれ、漫画家、「あしたのジョー」作者、文星芸術大学教授。終戦時6才で中国の奉天で迎え、苦労された経歴をもつ)も、日本を戦争する国にしてはならないと発言されています。戦争法案で個人が国家に監視されると、各々の発言や自己表現が萎縮し、国がやせ細っていくおそれがある、と窪島さんはいいます。戦争中の画家達は、公共施設をスケッチするのも、裸のモデルを描くことも禁じられていました。70年前の日本を、ご自身のことばで語って下さる方々も年々少なくなりましたが、それはたった70年前に実際に行われていたことなのだということを私達は忘れてはならないことだといいます。

 

 

■同日、観世流シテ方 関根知孝氏による独謡が披露されます。

 

 

※※※※※※※

題目 母のなげき 〜能「藤戸」より

              能楽シテ方観世流

 

※※※※※※※

 

関根氏は1951年生まれ。観世流二十五世宗家観世左近氏に内弟子され、国内外での公演や指導に尽力されています。1998年重要無形重要文化財指定。

(藤戸:作者不詳の雑能。源平合戦の頃、備前国(岡山)藤戸の合戦で、戦陣の功のあった佐々木盛綱は、新領主としてお国入りします。領民の訴えを聞くうち、一人の老婆がやって来て、罪もない我が子が、盛綱に殺された恨みを述べます。老婆は悲しみを新たにし、親子の情を述べ、自分も殺してほしいと詰め寄ります。盛綱は前非を悔いて、老婆を慰め、下人に命じて自宅まで送らせます。)

 

 

日本の第一線の文化人の方々が参加され、平和について考え、行動するきっかけとして、活動ジャンル、世代、地域をこえ、この集会は企画されました。皆様是非ご注目ください。

 

※おことわり

 5月21日(土)開催の「憲法9条70年《画学生たちからの伝言》いま耳をすます」は、5月14日(土)を以て、予定通り、入場お申込みを締め切らせていただきました。

 当日、ご参加くださる皆様と 素晴らしい時間を共有できますことを楽しみにしています!たくさんのお申込みをありがとうございました。

 

 

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谷中ボッサ

 

「戦争法廃止のチラシを置かせてもらうなら、先生、大学の近くにいいお店がありますよ」

と、聞き慣れない店の名を学生が耳打ちしてくれたのは、去年11月。せっかく教えてもらってあったのに、自分で行くのはちょっと勇気が出ず、仕事にかまけ延ばし延ばしになっていた。

 

そのお店「谷中ボッサ」のほうからおとといの夜遅くメールが届いてしまったのだから、びっくりだ。

 

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ちひろさんの切手と てるよさんのファックス

いわさきちひろさんの切手が出たので、郵便局で10シート買って帰る。筆無精のぼくがこんなにたくさん切手を買ったら、一生分の手紙に足りてしまうんじゃなかろうかと思うが、作曲家の徳山さんにさいわい手紙を書く必要があったので、最初の1枚を早速切り取って使った。

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無言館

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僕たちは戦争に行かない

これは2014年に 有志メンバーがFacebookに投稿した文章です。

憲法9条の在り方を問うこの訴えが、私たち有志の会の始まりと言っても過言ではありません。

7月10日の参院選を前に、改めてブログとして転載します。どうか一緒に考えて下さい。

 

********************************************

 

あるプライベートなオペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。毎晩、豪華なホテルに泊まってバイロイトやザルツブルクの音楽祭を巡り、食事の席にもご一緒した。その席上、メンバーのひとりだったある政財界の大物(そのグループはそういう方々の集まりだった)が大きな声で話したことが、今も耳に焼きついて離れない。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でどんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。「かわしま君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。

集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)。この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの発言をされた方が入っている。安倍首相のブレーンの一人と言われ、さまざまな政府委員も務めておられる有力者だ。「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、夕べの会見で首相は言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進めるこの内閣の本当の目的が、そんなところにないことは、法制懇のこの顔ぶれを見ても明らかだ。背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ。

政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、平時から強化しておくのがねらいで、大学や研究機関への圧力や働きかけが早くも強まっていると聞く。秘密保護法が成立し、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、憲法9条も風前の灯(すでに死文と言えるのかもしれない)と化した今、国民に知られたくない重要なことは次々と機密指定にしてしまえば、ぼく達のあずかり知らぬところで、海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。

ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、日本は大変なことになる。平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が、心からかみしめられる日を、もう一度取り返さなくてはならない。若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。

 

 

 

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5/21<画学生からの伝言>集会によせて

このイベントは、現在入場お申込みを締め切らせていただいています。

 

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館主、窪島誠一郎氏が上野でお話をされるという。昨年末、くも膜下出血となり、幸い大きな後遺症もなく近日退院したばかりとのこと、館主みずから労を押しての今回の東京での講演は、大変に貴重な機会です。

 

 

 

窪島誠一郎氏は1941年生まれの著作家・美術評論家。戦没画学生慰霊美術館「無言館」(一般財団法人)・夭逝した画家のデッサンなどの作品を収蔵した「信濃デッサン館」の館主です。無言館には、全国の戦没画学生の、日中・太平洋戦争で亡くなった画学生の遺作・遺品約300点が展示されています。繰り上げ卒業の学徒、収集された若手教員などが多く、油絵・日本画・工芸・デッサンなどの作品、日記、イーゼルや煙草入れなどの遺品があります。所属は東京の画学生にとどまらず、日本国籍以外の方々の展示もあります。

 

 

無言館は信濃デッサン館の分館として1997年が第一展示館が設立、2008年に無言館第二展示館「傷ついた屋根のドーム」が設立しました。〜美術館所在:上田市古安曽(上田交通 塩田町駅からシャトルバス・歩7分/上信越自動車道上田菅平インターチェンジから約35分)

 

 

同館設立のきっかけは、窪島氏が、自らも出征経験を持つ画家・野見山暁治氏(1920年生まれ、洋画家、文化勲章授章者)と出会い、野見山氏の「戦死した仲間たちの絵」の話に共感したことにはじまります。ともに遺族を訪問する旅をして長い年月をかけて収集されました。

 

施設の「無言館」という名には、展示される絵画はなにも語らず「無言」だが、みる者に多くを語りかける、という意味で命名したというが、いっぽう、展示される絵画をみてみる者も「無言」になるという意味をも含んでいるといいます。

 

 

 

戦争では実に多くの命がうばわれ、自然が破壊されます。今平和について今、数多くの文化人が平和について訴え、行動しています。

 

2015年4月の無言館で行われた成人式では、ちばてつや氏(1939年生まれ、漫画家、「あしたのジョー」作者、文星芸術大学教授。終戦時6才で中国の奉天で迎え、苦労された経歴をもつ)も、日本を戦争する国にしてはならないと発言されています。戦争法案で個人が国家に監視されると、各々の発言や自己表現が萎縮し、国がやせ細っていくおそれがある、と窪島さんはいいます。戦争中の画家達は、公共施設をスケッチするのも、裸のモデルを描くことも禁じられていました。70年前の日本を、ご自身のことばで語って下さる方々も年々少なくなりましたが、それはたった70年前に実際に行われていたことなのだということを私達は忘れてはならないことだといいます。

 

 

■同日、観世流シテ方 関根知孝氏による独謡が披露されます。

 

 

※※※※※※※

題目 母のなげき 〜能「藤戸」より

              能楽シテ方観世流

 

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関根氏は1951年生まれ。観世流二十五世宗家観世左近氏に内弟子され、国内外での公演や指導に尽力されています。1998年重要無形重要文化財指定。

(藤戸:作者不詳の雑能。源平合戦の頃、備前国(岡山)藤戸の合戦で、戦陣の功のあった佐々木盛綱は、新領主としてお国入りします。領民の訴えを聞くうち、一人の老婆がやって来て、罪もない我が子が、盛綱に殺された恨みを述べます。老婆は悲しみを新たにし、親子の情を述べ、自分も殺してほしいと詰め寄ります。盛綱は前非を悔いて、老婆を慰め、下人に命じて自宅まで送らせます。)

 

 

日本の第一線の文化人の方々が参加され、平和について考え、行動するきっかけとして、活動ジャンル、世代、地域をこえ、この集会は企画されました。皆様是非ご注目ください。

 

※おことわり

 5月21日(土)開催の「憲法9条70年《画学生たちからの伝言》いま耳をすます」は、5月14日(土)を以て、予定通り、入場お申込みを締め切らせていただきました。

 当日、ご参加くださる皆様と 素晴らしい時間を共有できますことを楽しみにしています!たくさんのお申込みをありがとうございました。

 

 

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谷中ボッサ

 

「戦争法廃止のチラシを置かせてもらうなら、先生、大学の近くにいいお店がありますよ」

と、聞き慣れない店の名を学生が耳打ちしてくれたのは、去年11月。せっかく教えてもらってあったのに、自分で行くのはちょっと勇気が出ず、仕事にかまけ延ばし延ばしになっていた。

 

そのお店「谷中ボッサ」のほうからおとといの夜遅くメールが届いてしまったのだから、びっくりだ。

 

 

「近所でカフェを営んでいますので、貴会のフライヤーをいつでも、よろこんで設置させていただきます。50部ほど、送料がもったいないので、通りすがりにでもお持ちいただければと思います。

明日夜は国会前に行きたいと思います。」

 

あわてて昨日、お店を訪ねたら、定休日で人が居ず、チラシは緑色のポストに入れてきた。

入り口の扉の張り紙には大いにたまげた。

国会前に抗議行動に行く人たちに、実に耳寄りな情報。

もっと早くに知っていれば!

谷中ボッサ!

 

 

憲法を踏み躙る戦争法の施行に抗議する幾万の人々が、夜の国会前で遅くまで声をあげ続けた。

街頭署名からのハシゴで、病み上がりの身に、長時間のシュプレヒコールはいささかキツかったが、

日本が戦争国家に向かって大きな一歩を踏み出した昨日ばかりは、

満身の怒りを込め、声をあげずにはいられなかった。

 

谷中ボッサはお休みだったので、魔法瓶入りの熱いコーヒーはなかったのだけれど。

  

                                         H.K. wrote

 

お店、演奏会場、ギャラリーなどに「藝大有志の会」の署名チラシを置いてくださる方、

ご連絡くだされば郵送しています。→自由と平和のための東京藝術大学有志の会 お問い合わせページ

 

2000万人署名と同時平行で、藝大有志が集める独自の賛同署名。

ぼくたちの命と言論表現の自由を脅かす戦争法に、ぼくたちはNOの声をあげ続ける。

賛同署名は先週1500名を突破した。

 

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ちひろさんの切手と てるよさんのファックス

いわさきちひろさんの切手が出たので、郵便局で10シート買って帰る。筆無精のぼくがこんなにたくさん切手を買ったら、一生分の手紙に足りてしまうんじゃなかろうかと思うが、作曲家の徳山さんにさいわい手紙を書く必要があったので、最初の1枚を早速切り取って使った。


ちひろさんが亡くなった年の秋のことだったかと思うが、銀座の小さな画廊で回顧展があるというので、出かけた。「子どもがこんな町中の画廊に一人で来るなんて」と、画廊主のおばさんに驚かれた。絵本「戦火のなかの子どもたち」や「母さんはおるす」の原画、モスクワの風景スケッチなどが飾られていたと思う。小さな画廊の部屋を何周も歩きまわって、初めて見るちひろさん直筆のやわらかな鉛筆の線に食い入るように見入りながら、まるで母親のように、水か空気のように、子どもの頃からいつも身近にあって馴れ親しんだこの絵本画家との別れを、中学1年生だったぼくは惜しんだ。

ひろさんの回顧展のあとしばらくたってから、同じ画廊で遠藤てるよさんの『ベトナムのダーちゃん展』があり、中学生のぼくのところにも、画廊主のおばさんはちゃんと案内の葉書きをくれた。ちょっと誇らしい気持ちで、それからぼくは「はばたき」という名のその画廊によく通うようになった。ちひろさんは亡くなってしまったけれど、絵本画家遠藤てるよさんとのつきあいが始まったのは、その時からのことだ。

おととい、「自由と平和のための東京藝術大学有志の会」の事務局のファックス(実はぼくの自宅のファックス)に、永く音信が途絶えていたその人から安保法制廃止を求める署名がファックスされてきた。やさしく踊るような遠藤てるよさんの懐かしい筆跡に驚いた。さっそくお電話をかけ、ぼくの筆無精を詫び、久しぶりの電話はずいぶん長話になった。有志の会の呼びかけ人連名にぼくの名があるのを見て、「あの川嶋くんだ」とすぐにわかり署名してくださったのだという。85歳のお元気そうな声に、ほっとひと安心した。

有志の会の呼びかけ人には、ちひろさんの息子の松本猛さんも名を連ねてくれているし、こうして遠藤さんとも再びつながることが出来た。今日はちひろさんの親友だった亡き東本つねさんの娘さんという人からもメールが届き、驚いた。娘さんは藝大のご卒業で、安倍政権の暴走に危機感をもち、藝大署名を一生懸命周囲にひろめてくださっているそうだ。

ちひろさんが亡くなる前、ベトナム戦争はまだ続いていて、沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、ベトナムの子どもたちの上に爆弾の雨を降らせていた。ちひろさんを始め、子どもの本の仕事をしている人たちはそのことに心を痛め、手をとりあって大きな平和運動のうねりを日本じゅうで起こしていた。遠藤てるよさんも、東本つねさんも、そうした絵本画家のひとりだ。その頃の空気を、ぼくも子どもながらに感じ、自分のなかに受け継いでいるのだと思う。ちひろさんの息子猛さんも、メールをくれた東本さんの娘さんも、ぼくと同じくあの時代の空気を受け継ぐ世代といっていい。

「ぼくが今、何かせずにはいられずこうしているのも、出発点はあの頃の、さまざまな出会いの中にあったのかもしれないと思ってます。ちひろさんやてるよさん達の絵本を見てぼくたちは育ったんですから。悲惨な戦争への道を二度と許しちゃいけないって思いを、ぼくたちはそこから受け継いで育ったんですよ」と、受話器の向こうの遠藤さんに、ぼくは話した。

ちひろさんの切手は、大切に使いたい。

                                       H.K. wrote

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無言館

みなさんこんにちは。不定期更新ブログつれづれ、有志の会のP(ぴー)子です。

 

2015年の秋の終わりに、K(けー)ちゃんと2人で信州上田に行ってきました。

 

車で行くなら、菅平ICから30分ほど走ったところに、古安曽という本当にのどかな、静かな田園地帯が広がります。

 

そこには信濃デッサン館と戦没画学生慰霊無言館があります。


こちらの写真はちょうどかりんが沢山色づいて、ぶどうのハッパも色とりどりで、落ち着いた季節で、けーちゃんがいろいろ撮ってくれたものの一部です。

 

 

ここにまだ行ったことがない方がいらしたら、いちどは是非ご訪問をオススメします。若くして亡くなった画家や画学生の作品が沢山展示されています。ぴー子は建物に入るなり号泣しちゃうんじゃないかって想像してたのですが、そういうことはなくて、全部の作品をゆっくり、ゆっくり、落ち着いて観る事ができました。

 

建物全体からくるきちんと感というか、えりの先までアイロンがかかっているような、それでいてあったかいものに覆われているようなやさしさというか、とにかく、哀しいところなんだけどきちんと向き合っていつまでもいたいような空気が流れていましたよ。

 

(つづく)

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